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登山、なぜ山に登るのか・・・昔からよく言われていることは、「そこに山があるから」です。もちろんこれも正解だと思います。では、もう一歩進んで、「なぜ、歩いて登るのか?」です。
文明の利器がいくらでもある時代になりました。山の頂上までといったら極端ですが、一歩手前の当たりまで何らかの手段で一気に上ってしまうというようなサービスすらあっても(登場しても)いいのでは、とひねくれた考え方もできないこともありません。
でも、そんなことになっていないのが現実の姿です。ということは・・・
人は苦労して山に登りたいのです。重たい荷物を持って山の頂上を目指すのです。
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便利すぎる世界と苦労なしの世界、幸せは別もの?
目の前につらいことや逃げ出したいことがあると、違う世界へとワープしたくなります。(クリアしなければならない)ハードルが否応なしにやってきたりもします。
何で私だけ、という思いすら芽生えたりもします。
こんなことをいう人がいます。何もかもが思い通りにいく人生なんて、たぶんに(すぐに)つまらなくなってしまうはず、という人です。すべてが思い通りに、それが当たり前になってしまうということです。
確かに、ただ生きているだけという世界になってしまうかも知れませんね。天国が天国でなくなるというわけです。
人は、成長する生きものです。若い頃の苦労や、昔のつらいことが(今となっては)笑い話になっているなんて経験はありませんか。その頃の悩みや苦悩がウソのように振り返ることができるようになっている自分に、成長と人生そのものを感じることはありませんか。
まったく苦労がないという人はいないと思います。苦労の大きさや感じ方に違いはあったりするでしょうけど。
苦労があるから、その反動としての喜びや幸せに気づいたり、ありがたく思ったりするのです。人生のスパイスなのかも知れません。
(あまりに突飛すぎるかも知れませんが、こんな考え方をしてみることも・・・いかがなものでしょうか)
(自分が生まれる前に)すべて自分が、人生の予定表に書きこんで、配置して、仕掛けておいた、そして人生のいろんな選択の機会の度に、その「仕掛け」に出会って、その宿題・課題を乗り越えようとしている、まさに自分のRPG(ロールプレイングゲーム)を自分が製作しておいた、という考え方です。
乗り越えることのできる苦労・ハードル・課題だからこそ、そう人生そのものに認められているからこそ、出現した苦労・ハードル・課題なのだと思います。
まとめ 生きる喜びと幸せと人生と
苦労は確かに大変です。苦痛です。私たちの人生からすべての苦労がなくなったら・・・ある意味ありがたいでしょうけど、人生の醍醐味がなくなると思います。
その分の感動なども少なくなってしまいます。登山も人生も自らの身体を使って体験するものです。
人生を素晴らしいものにするために、生きる喜びをより大きくするために、ワクワクした人生を創造するために、神さまが(ひょっとしたら自分が)用意してくれているのだと思います。
(どうも自分自身に言い聞かせているような気もしますが)
同じ現実を目の前にしても、同じ出来事を見ても、その意味付け・捉え方が違うという話もしました。すべて自分が創造しているのです。
大変かも知れません。でも・・・
苦労の中に人生の喜びのタネを見つけることができたらいいですね。